マリネーラ(Marinera)はペルー国民音楽(Música Nacional)と呼ばれることもあります。マリネーラ・ノルテーニャ(北部地方のマリネーラ)とマリネーラ・リメーニャ(リマのマリネーラ)、そしてマリネーラ・セラーナ(山岳地方のマリネーラ)に大きく分けられ、一般にノルテーニャの方がリズムが速く、リメーニャの方はゆっくりしています。リメーニャはバルスと同様、サロン向けの踊りです。マリネーラは器楽・声楽演奏よりも舞踏としての位置づけが強く、音楽も舞踏の伴奏として発展してきました。マリネーラ・ノルテーニャでは女性の踊り手は靴を履きますが、ノルテーニャでは裸足です。ハンカチを右手にもち男女の恋の駆け引きを踊りで表現します。マリネーラはギター、カホンの伴奏と歌により演奏されるだけでなく、踊りの伴奏の時はブラスバンドによっても演奏されます。
マリネーラは山岳地方でも演奏されます(マリネーラ・セラーナ)。マリネーラ・セラーナはアコーディオン、マンドリン、ギター、バイオリンというアンデス音楽の編成で演奏され、リズムもコスタのマリネーラに比べるとより静かで、やはりワイノ音楽などと同様にアンデス音楽の一形式として位置づけられます。
マリネーラの代表的な曲としてはBartola (Alicia Maguiña), El Huaquero (Miguel Paz)などがあります。
写真:パンパ・デ・アマンカエの祭り(6月6日)でマリネーラの原形サマクエカ踊る黒人男女、1840年、パンチョ・フィエロ作。
チリ、ボリビア、アルゼンチンのクエカ(cueca)はそのリズム形式を比べてもペルーのサマクエカから伝わり、最初のサマ(zama)が名前から消えたことは明らかです。またアルゼンチンではサマクエカは軽快なクエカとゆったりしたサンバ(Zamba)に分かれたとも考えられています。
なぜペルーにはクエカがないのか。それは南米太平洋戦争(1879-83)でペルー、ボリビア連合軍が敗れたとき、チリと同じ名前の音楽を国民舞踏とするのは我慢できないという感情もあり、海軍の善戦を称え、また海軍軍楽隊によってサマクエカはしばしば演奏されていたので、サマクエカをマリネーラという名前に変更されたと言う説があります。歴史資料にあたっていないので、この説の真偽は信憑性に欠けますが、マリネーラとクエカは同起源であることは明白です。たとえば、ボリビアと国境を接するプーノ地方のマリネーラ・プネーニャ(Marinera Punena)はそのリズム、メロディーともにラ・パスのクエカ・パセーニャ(Cueca Paceña)に限りなく近いことは素人が聞いても分かります。また、マリネーラは通常フーガ形式でテンポの速いレスバローサ(Resbalosa)と組で演奏されます。
マリネーラは成立起源が黒人音楽とスペイン舞踏の混合でありながら、舞踏音楽として洗練さが加えられ、早くからクリオーヨ全体に受け入れられた音楽と捉えることができます。マリネーラと同じくサマクエカに源流を持つトンデーロ(tondero)にはより強い黒人舞踏的要素が残っています。トンデーロは通常マリネーラと同列に扱われることが多く、マリネーラと同様にペルー北部で盛んです。
トンデーロの一例:Canterurias (Chabuca Granda), Esta Es Mi Tierra (Augusto Polo Campos), San Miguel de Piura, Morropón de San Miguelなど。
写真:ベルベル馬。この馬は対歩行馬カバージョ・デ・パソ(Caballo de Paso)として歩くときに上下に揺れないよう足の運びを特別に訓練されている。アマンカエの祭りではCaballo de Pasoの品評会と演技披露も行われて、マリネーラを踊る催しもある。パンチョ・フィエロ画。![]() 前に戻る |
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