自己紹介


略歴

地方の工業高専を卒業して光学機器メーカーに入るが、趣味でやっていた プログラミングの方が面白くなりすぎ気がつくとソフトハウスに転職。 しかしそこもバブル崩壊とともに左前となり現在の会社へと転がり込む。 本来は自動車のエンジニアになるはずだったのだがどこで道を踏み外したものやら。 いつの間にか三十路だし。ふぅ。
ところで現在現役の高専生諸君、君達はとっても幸せなのよ。 私らの頃にはロボットコンテストなんて出場したくても存在すらしていなかったんだから(;_;)。
なお、このページがここの下にあるのはひとえに縁ゆえであり、 慶應の学生でも職員でもありません。念のため。

お仕事

結局社内システムのお守りがメインのような....

プログラミング言語

Forth (多分一番好きな言語), lisp, Turbo Pascal, C/C++, Modula-2, SNOBOL (これがまた面白んだ), awk, REXX, いくつかのCPUのアセンブラ(これは本来言語として同列にすべきではないが), いくつかのエディタや通信ソフト等のマクロなどで(遊んで|仕事して)来たが、 今現在は Borland の Windows用 Visual programming 環境である Delphi を一番面白がっている。
Javaも興味あり。Symantec Cafeを入手したのでぼちぼちやってみるつもり。 BorlandのJava開発環境Latteも今から楽しみ。

通信

それ以前にもWWIV系の所を多少アクセスしていたが、MSA(その当時はTurbo Pascalなど ボーランド製品や日本語ForthのMindなど言語系のプロダクツをメインに扱っていた)の サポート用BBSの MSA-NETにアクセスしてから本格的にはまりはじめた。 ここでは多くの貴重な友人を得ることが出来、MSA-NET消滅ののちも 彼らとの親交は続いている。
また、当時バージョンアップ途上だったVzエディタのバグレポートのために日経mixのIDを取得するとその居心地のよさに長居するようになり、 いつの間にかtry会議などという所に引きずり込まれ、 気がつくと「廢人」などという有り難くない呼称をいただくようになる。
現時点で巡回しているのはmixの他にNIFTYのSBORLAND)(でも最近剣呑)、 MSA-NET常連の残党の一部による'新・某ねっと'、 いまや押しも押されぬ絵日記界の第一人者和佳ちゃんのやっているBBS'和佳まぐろ'(でも最近閑散としてる^^;)など。日記ぐるぐるについては言うまでもない。
ちなみに通信時のハンドルは1byte小文字の`ataru'で大体統一している。 mixだけ先客(まだ一度もloginしているのを見たことがない)がいたため`anakata'なのが残念である。

好き

  • 睡眠。
  • エンジンがついていて一人で動かせる乗り物ほとんど全部。
  • ヱビスビール。
  • 全盛期のころのハーフ判カメラ。
  • 澁澤龍彦の著作。
  • 筒井康隆の著作。
  • 毎週水曜のエヴァンゲリオン、
    は終わっちゃいましたね。二重の意味でがっくし。
  • WEB上の日記巡り。
  • PCのキーボード。
    現在手元にあるのが1ダースくらいか。折り畳みやらいろいろ。
  • やばい状況でギャグを飛ばすこと。
    生命、財産その他の危機が自分の目前に迫っている時ほど面白い。
  • その他、なにか面白がれる事。ちょっと基準が普通と違うかもしれない。
  • 嫌い

  • 'DOS/Vパソコン', 'DOS/V互換機'などという呼称。鳥肌が...
  • Macしか見えない一部Mac信者。
    Macが嫌いなわけじゃないけど、 ちょっと最近の一部ユーザーの行動/言動は目に余るものが。 あ、Win95発売の時のプラカードは私も手を叩いて面白がりましたが。
  • この世の警察官の99.99%。
  • 佐川急便。
    渋谷から板橋まで十日かかってんじゃね〜っ!
  • 自分の凡庸さ。
  • 最近の中毒症状

    プレイステーションの「クールボーダーズ」。

    IBM-PCおよびその100%互換機

    呼び水:SIM
    そもそもは98上でIBM-PCのBIOSをエミュレートする常駐プログラム"SIM"に 出会ったのがこの方向へのきっかけだった。 会社の98にSIMを常駐させ、US産のツールやユーティリティ類を動かして、 当時の国産ソフトとのあまりのセンスの差に愕然とした。 しかもその多くはPDS(当時はまだこう呼んでましたね。 まあUSの場合は実際にPDSが存在するわけだし)や安価なシェアウェアだったのだから。
    しかし、SIMではPCのテキスト画面への直接書き込みまではトラップして いなかったため(当時はまだBIOS表示モードを持っているソフトも結構残っていたが)、 ソフトによってはそのままでは使えないのも事実で、 しばらくは必要に迫られて逆アセンブルとパッチ当ての日々を過ごした。 思えば道を踏み外したのはこの時期だったのかもしれない。
    その頃からPCが欲しかったが、 しかし当時USで売っているPCでは当然日本語なんか使えないので 実用性の観点からはためらっていた。J-3100も魅力的な選択肢だが高価に過ぎた。

    衝撃:初代「ダイナブック」
    しばらく思い悩んでいた所に、J-3100SS、初代「ダイナブック」の衝撃的登場。 すぐに購入し、早速英語モードへの切り替えプログラムを自作しては 「これでパッチしなくても動く」とUSの ソフトばかり走らせていた(しばらく携帯SIMCITYマシンだったという話もあるが)。
    当時このJ3100SSをいつでも持ち歩いていたのが、 ソフトハウスに転職する直接のきっかけでもあった。

    袋小路:AX & PS/55
    ソフトハウスに転職したらAXマシンがあった。 罫線化け以外はまんま日本語モードでもUSのプログラムが動いたのは、 理屈ではわかっていても結構嬉しかった。 売り方と各メーカー独自の変な設計さえなければ、とAXについては今でも残念に思う。 キーボードの配列もAXのものが一番好きだ。
    じきにPS/55も会社にやってきた。 こいつのJDOSでの画面表示まわりはなにかとオリジナルのPCと違うので、 ソースの共通化をはかるプログラマとしてはてこずらされた思い出がある。 キーボードの配列も随分と異様に思えたが、FEPのON/OFFがしやすいだけ 現在の106よりはまだましかもしれない。

    霹靂:DOS/V
    そして90年の秋、ついに日本IBMが"DOS/V"を発表した。 すぐに(会社の金で)買い、PS/55からJDOSを追放してインストールした (事前に物や資料を入手していた所を除けば もっとも初期に対応プログラムを開発した会社のひとつだったかも知れない)。 当時まだキーボード周りなどに問題をかかえたDOS/Vではあったが、 フロッピーを持っていくだけでほとんど世界中にあるPCで日本語が使える、 という可能性に気付いた時には眩暈にも似た感覚を覚えた。
    その後、秋葉原でPCのパーツが普通に買えるようになってからの事は 特に書くほどのことでもないだろう。


    このページに関する連絡は anakata@mix.or.jpSGR03043@niftyserve.or.jp のいずれかへ。
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