衝撃:初代「ダイナブック」
しばらく思い悩んでいた所に、J-3100SS、初代「ダイナブック」の衝撃的登場。
すぐに購入し、早速英語モードへの切り替えプログラムを自作しては
「これでパッチしなくても動く」とUSの
ソフトばかり走らせていた(しばらく携帯SIMCITYマシンだったという話もあるが)。
当時このJ3100SSをいつでも持ち歩いていたのが、
ソフトハウスに転職する直接のきっかけでもあった。
袋小路:AX & PS/55
ソフトハウスに転職したらAXマシンがあった。
罫線化け以外はまんま日本語モードでもUSのプログラムが動いたのは、
理屈ではわかっていても結構嬉しかった。
売り方と各メーカー独自の変な設計さえなければ、とAXについては今でも残念に思う。
キーボードの配列もAXのものが一番好きだ。
じきにPS/55も会社にやってきた。
こいつのJDOSでの画面表示まわりはなにかとオリジナルのPCと違うので、
ソースの共通化をはかるプログラマとしてはてこずらされた思い出がある。
キーボードの配列も随分と異様に思えたが、FEPのON/OFFがしやすいだけ
現在の106よりはまだましかもしれない。
霹靂:DOS/V
そして90年の秋、ついに日本IBMが"DOS/V"を発表した。
すぐに(会社の金で)買い、PS/55からJDOSを追放してインストールした
(事前に物や資料を入手していた所を除けば
もっとも初期に対応プログラムを開発した会社のひとつだったかも知れない)。
当時まだキーボード周りなどに問題をかかえたDOS/Vではあったが、
フロッピーを持っていくだけでほとんど世界中にあるPCで日本語が使える、
という可能性に気付いた時には眩暈にも似た感覚を覚えた。
その後、秋葉原でPCのパーツが普通に買えるようになってからの事は
特に書くほどのことでもないだろう。